映画化もされ、もはや知らない人はいないであろう「タイタニック号」。
世間では、氷山に衝突して沈没した世界最大の海難事故というふうに認識されていますが、実はタイタニック号は...
というわけで、今回はタイタニック号沈没事件の真実をご紹介します。
概要
タイタニック号は、1909年にイギリスで豪華客船として建造が開始されました。
大きさは、全長約270メートル、4万6千トンという非常に巨大な船です。
しかし、建造が開始された3年後の処女航海において、氷山に衝突し沈没してしまいます。
この事故で、合計1500人を超える人々が命を落としてしまいました。
いかに大事故だったかが容易に想像できるかと思います。
あまりにも大規模な事故だったため、映画化されたりTV番組でドキュメンタリー番組が組まれたり、様々な噂が流れたりと、未だに人々の話題になることもしばしば。
しかし、なんとタイタニック号は沈没していないという説があるのです。
沈没していない?
実はタイタニック号事故の2年前、1910年に一足先に完成した「オリンピック号」という、タイタニック号の姉妹船がありました。
しかも、パッと見ただけではタイタニック号とほとんど見分けがつかないほど、そっくりな外見だったのです。
ただ、オリンピック号は客船としてではなく、第一次世界大戦で輸送船として使用されていました。
そして、第一次世界大戦が終戦となったあとに初めて客船として使用されます。
オリンピック号は、第一次世界大戦をくぐりぬけただけでなく、客船として大西洋を何百回も横断したという経験があったため、「沈没しない客船」として名高い船だったようです。
オリンピック号が建造された翌年の1911年に、タイタニック号は完成します。
完成後、タイタニック号は処女航海をすることになります。
...が、航海をする直前にタイタニック号とオリンピック号はすり替えられたという話があります。
そのため氷山に衝突し沈没した船は、実はタイタニック号ではなくオリンピック号だったのではないかと言われています。
何故すり替えられたのか
「タイタニック号とオリンピック号をすり替えてどうすんの?」と思われたかもしれません。
実は、オリンピック号はイギリス海軍の巡洋艦と衝突事故を起こしたという経歴がありました。
この事故により、オリンピック号は大きな損傷を負い、船体はひどく傷んでいました。
さらには、巡洋艦との衝突事故の裁判がおこなわれたのですが、オリンピック号は裁判に負けてしまいます。
裁判に負けた結果、オリンピック号を所有する「IMM社」は高額の賠償金を支払うことを命じられます。
と同時に、IMM社はオリンピック号の修理費用も必要になってきます。
ここで、完成したてのタイタニック号の処女航海にオリンピック号を使い意図的に沈没させたと言われています。
既にボロボロなオリンピック号を沈没させ、あたかも出来立てで綺麗なタイタニック号が沈没したと思わせる事で、莫大な保険金を手に入れ、さらに修理する船が無くなれば修理費用も必要がなくなるからです。
これらが真実であれば、とてつもない金額の保険金詐欺がおこなわれたことになります。
不審な点
長々と書いてきましたが、上記の説は現在は色々と辻褄が合わないということで、誤った説だとされています。
しかし、IMM社のオーナーでタイタニック号の所有者でもある「ジョン・ピアポント・モルガン」は、本来乗船するはずだったタイタニック号の処女航海の予定を航海直前にキャンセルします。
さらに、共に乗船予定だったジョン・モルガンの友人数十人も直前に乗船をキャンセルしています。
あまりにも出来すぎた偶然なため、今も真相を調べている人は多くいるとのことです。
最後に
いかかでしたでしょうか。
今から100年以上前の話ではありますが、未だに話題になる事件ということは、やはりまだ謎が多いという事なのでしょう。
お金は欲しいけど騙すのはよくないニャ。
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